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『日露戦争 もうひとつの「物語」』は、長山靖生の新書である。日露戦争前後の新聞社、出版界や文学者の動きを通してを日露戦争の時代の日本国内の雰囲気を追って、多分に戦争に対して観念的であった日本社会が描かれる。2004年新潮新書で刊行された。 ==紹介される事物や人物== *「二六新報」:政府や財閥の重要な人物の個人攻撃で人気を集めて1903年には日本一の発行部数であったが、「日露和約成立」の誤報を犯し、占守島で自給自足の生活をしながら北方の守りについていた郡司成忠予備役海軍中尉の追及キャンペーンを行ったことによって親露的であると思われることになった。社主で衆議院議員の秋山定輔がスパイ行為を行っているという根拠のない匿名の投書で議員辞職を余儀なくされ、国内向け国債募集を非難する記事による発禁処分をうけるなど政府の弾圧をうけ売り上げも激減していった。 *「日露戦争写真画報」:日清戦争時に「日清戦争実記」で業績を伸ばし『太陽』の成功で大出版社となった博文館は「日露戦争実記」「日露戦争写真画報」を発行し田山花袋を従軍記者とする。「日露戦争写真画報」の編集記者には『海底軍艦』などのシリーズで人気を集めた押川春浪がいた。 *池辺三山:「東京朝日新聞」の主筆、ロシアとの戦争推進の論陣をはった。 *江見水蔭:日清戦争後、『電光石火』、『水雷艇』、『速射砲』などの戦争小説で人気を博した。日露戦争が近づくと、二六新報に招かれ、また新しく発刊された雑誌「戦争小説」などに多くの戦争小説を書くが人気をえることはなかった。経営難となった二六新報の三面主任となる。読者同様、戦時色一辺倒となった新聞に飽き、趣味の考古学の発掘旅行などで気をまぎらすことになる。 *村井弦斎:国際世論を日本に有利に導くために日本人の美徳を紹介する『Hana』を書きイギリスで自費出版した。 *夏目漱石:戦争の勃発の気分の高揚から明治37年の「帝国文学」に新体詩『従軍行』を発表したが不評であった。『我輩は猫である』の発表は開戦後10ヶ月であった。漱石は社会的な問題から自分の生き様へと主題を移していくことになる。 *森鴎外:第2軍の軍医部長として金州の戦い、南山の戦いに参加した鴎外の作った軍歌と詩が紹介される。従軍記者として派遣された田山花袋とかわした会話が紹介される。 *与謝野晶子:詩、「君しにたまふこと勿れ」の発表と、その厭戦的な内容を大町桂月に非難されるが、鉄幹は桂月宅を強引に訪れ議論し議論し、その応酬を「『詩歌の骨髄』とは何ぞや」として発表する。 *ジャック・ロンドン:ハースト系の新聞社の従軍記者として日本を訪れたロンドンは撮影禁止場所を撮影しスパイ容疑で一晩拘留された。後にカルフォルニアの排日運動の先頭になって活動する。 * 阿武信一:当時国内で頻発した露探疑惑事件の被害者のやや滑稽な例として取り上げられる。その後日本海海戦などに参加し退役して阿武天風、虎髭大将のペンネームで『日米戦争夢物語』や『日米の危機』などの冒険小説を書く。 *東海散士(柴四朗):日露戦争勃発3か月前に『日露戦争 羽川六郎』を刊行した。旧会津藩士の「樺太奪還物語」としての架空戦記が紹介される。 *渡辺渡 :東京帝国大学工科大学長。岩手県で金の鉱石が発見されたことを当時の大蔵大臣に告げ、金鉱の発見のニュースが当時戦費調達に窮していた政府を開戦にふみきらせたという怪しいはなしが紹介される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日露戦争 もうひとつの「物語」」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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